32
匿名さん
31
匿名さん
東浩紀に対するものと同じ不快感を感じる。
30
匿名さん
プリキュアはおもしろいよ
(・ω・)
29
匿名さん
アニメは子供の見るものって考えは古い❗
28
匿名さん
世間の評価はいまだにそうだろ。
そんな事無い!ってコミュニティん中でしか生きてないだけだろ、アニオタは。
27
匿名さん
終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌 より抜粋
純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授
26
匿名さん
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
25
匿名さん
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
24
匿名さん
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
23
匿名さん
京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
22
匿名さん
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
21
匿名さん
私もそう思います
20
匿名さん
アニメは日本の文化だと思います。
19
匿名さん
大きいお友達向けのアニメばっか作ってるくせにね
昔、宮迫がつんく♂に対して
「こんなオッサンが『じゃんけんぴょん、じゃんけんぴょん~♪』とかどんな顔して作詞しとんねん!」
とか言ってたのを思い出した。
18
匿名さん
>>17
糞って、障害者より酷くない?
それでも半分だけなの?
17
匿名さん
半分納得。
2次元の男女しか興味ないって人間いるけど、糞だ。
16
匿名さん
>>14
後で気づいてツッコまれると思ってたよ
細かいお前もカッコ悪いな
15
匿名さん
えっ! アニメって作っている会社と
放送している会社は別だよね
14
匿名さん
13
匿名さん