幼児達が赤ちゃんを殺した事件
06/08/04 09:53
「恐るべき子ども」の事件簿としてやはり新潮45・8月号に掲載されている、無残な出来事がある。
それはおよそ30年以上前の昭和50年に鹿児島県のある島で起こった。
5歳と3歳の男の子と2歳の女の子が近所で生まれたばかり(生後18日目)の女の赤ちゃんを見に行こうといって、家人が留守のまにあがりこんだのだが。・・
赤ちゃんの寝顔を見ているうち、
3歳の男の子が「包丁で切ってみよう」と言い出だした。
5歳の男の子もうなづき、台所から包丁を持ち出して、
赤ちゃんの足首に突き刺したのだ。
その瞬間に、赤ちゃんが火がついたように泣き出したので、
子供達は庭にあったテレビ台の脚を拾ってきて、
赤ちゃんの顔面や頭を滅多打ちにした。
そのあと、三人は赤ちゃんを庭の物干し柱に犬の鎖で縛り上げたのである。・・
ライターの福田ますみは
「ここまでむごい仕打ちをするものだろうか」と言って、
三人の子ども達の複雑な家庭の事情に注目する。
「兄妹の母親は、子供たちの前で亭主に包丁を突きつけるようなこともあったし、そのせいか、5歳の男の子は生きたヘビやカエルを噛んだりする異常なところがあった。」
という近所の人の話を取材している。
この福田ますみの視点は正しい。
子ども達の頭の中には、
両親からのバッドイメージ(恐怖としての記憶)が刷り込まれていたからこそ、このような残酷な行為も可能なのである。
しかも、赤ちゃんを目にした時に、
特段の理由もなく凶行に及んだことは、
すでにその子ども達の心の中では、抱えきれないほどの鬱積や不安恐怖が存在していたことを証明している。
またそこには、
赤ちゃんを「人間の命」ということよりもカエルと同等な動物という受け取り方しかできない未熟な精神性があらわされている。
このような条件付けがなされたとき、
どんな子どもと言えども、破壊衝動から免れることはとても困難なのだと申しあげたい。
といった意味から、この史上稀な子ども達の殺人行為は、
その両親の育児教育責任こそが問われるべきことなのだと言えるでしょう。
「どんな事情があっても、歯を食いしばってでも子どもを守り、教育していく」のが親の社会的な責任であることを忘れないでほしいのです。