NYの寿司店「素手で寿司を握ったら営業停止」で論争に
日本人にとってちょっと信じがたいニュースが海外から飛び込んだ。米ニューヨーク市衛生局が先ごろ、寿司職人にゴムまたはプラスチック製の手袋着用を義務付け、これに従わなかった人気寿司店が営業停止を命じられた。地元では多くの寿司職人、寿司愛好家を巻き込む論争となっている。
日本人である私たちが聞くと「まさか!」「ありえない」と感じるが、よくよく考えてみるとやむを得ない面も見えてくる。そもそも日本とアメリカでは衛生に対する感覚や文化がまったく違う。それにアメリカの寿司職人は95%が非日本人だという背景もある。日本の寿司職人がおこなっている徹底した衛生管理を、アメリカの寿司店で実行できるとは限らないのだ。
ただし、手袋を使うと無粋かつ不便なだけでなく、「魚の鮮度が確認できない」「何か汚いものに触っても気づくことができない」ため、手袋を使うことで衛生効果が上がるのかどうかにも疑問の声が上がっている。事実、カリフォルニア州では2014年、同様の規制が導入されたが5か月で撤回された。ニューヨーク市の論争もしばらく続くとみられるが、今後より良い結論へと向かっていけるのだろうか。
日本でも若者を中心に「他人の握ったおにぎりが食べられない」人が増えている
ところで、日本ではどうだろう。以前なら、誰もが「寿司は素手で握るのが当然」だと考えていたはずだ。それが最近はそうではないらしい。若い世代を中心に、「他人が素手で触った料理は食べたくない」という人が急増しているのだ。
たとえば若者に人気のおにぎり専門店『Onigily Cafe』は、手袋着用はもちろんのこと、それがゲストに見えるよう厨房を丸見えに。素手で握られたおにぎりが苦手な人でも安心して食べられるように工夫している。ちなみにこの店舗は、オーナー自身が他人が握ったおにぎりを食べられないのだそう。若い世代の傾向、そして自身の経験をしっかりと生かしているというわけだ。
寿司やおにぎりは手が触れる面積が大きいので、苦手な人がいるのもなんとなくわかる。しかし、最近は「鍋を囲むのが嫌」「持ち寄りパーティが苦手」なんて人も増えている。なかなか難しい時代になったものだ。
個々の飲食店はいっそうの衛生管理を
これら事実を踏まえると、ニューヨーク市の寿司店規制問題は対岸の火事では済まされない。新しい消費者が求めている清潔感の基準でいくと、「素手」はNGなのだ。
すでにファーストフード店、カフェなどでは手袋着用が当たり前。それと比べると日本食の分野ではまだ素手が主流だが、再考の余地はありそうだ。
たとえば居酒屋のご飯メニューの場合、「おにぎり」よりも「お茶漬け」、「握り寿司」よりは酢飯と具を提供して「手巻き寿司」の方がいいかもしれない。うどん・そば店も素手で行う作業が多い業態なので、何かしらの対策が必要になる日がくるかもしれない。とは言っても、「手打ち」を“売り”にしている店舗が、果たして手袋着用で満足のいくものが作れるのか? 甚だ難しい問題である。
さらに店内やスタッフの清潔感に対する基準も厳しくなることは必至だ。「レジの会計をしたあとにお皿を運んだ」など、ゲストの目の前でのちょっとした振る舞いが客足に影響する可能性もあるので、厳しい視点で衛生管理を徹底する必要がある。
日本の伝統的な食文化をどうやって守っていくかが課題に
「寿司」「おにぎり」だけでなく、「そば」「うどん」「餅」「和菓子」など、考えてみれば日本の伝統食は「素手」を使うものばかりだ。そして素手で触れて感覚を確かめずに和食は作れない。
高温多湿で食材が傷みやすく、細菌も繁殖しやすい日本はまた、「世界一清潔な国」でもある。日本人が食生活の中で培ってきた衛生管理の伝統的な技が、豊かな和食文化を支えてきた。寿司の場合でいえば、職人は食材を触る前に酢水で手を洗うこと、酢飯とわさびが生魚の劣化を抑えること、防腐作用のある青じそを用いるなど、どれも科学的根拠がある。
時代の変化に対して農水省も動き出しているようだ。和食のグローバリゼーションのためにも、日本国内の若い世代に正しい和食文化を伝えていくためにも、国や飲食業界が、「和食」は料理の見た目や味だけでなく、衛生管理という点でも優れた技術の集大成であるということを、意識的に明文化して発信していく必要があるだろう。
「ニューヨーク寿司店の手袋論争」と「他人の握ったおにぎりが食べられない日本の若者」は、これからの食の安全と安心を考えるための問題提起をしてくれる好事例といえる。古き良き食の文化を守るためには、時代の変化への対応も欠かすことはできない。
米ニューヨーク市衛生局が先ごろ、すし職人にゴムまたはプラスチック製の手袋着用を義務付け、これに従わなかった人気すし店が営業停止を命じられた。日本では少々信じられないニュース。でもこれは対岸の火事ではない。日本も素手NGの価値観が広がりつつあるのだ。