山本美憂、KIDさんの“最期の時”を明かす「ギリギリまで痛み止め使わずに…」

山本美憂、KIDさんの“最期の時”を明かす「ギリギリまで痛み止め使わずに…」

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20

匿名さん

ガキの頃、交通事故で足のスネのところを骨折して入院した。たかが骨折だけど当日は痛くて痛くてモルヒネも使ってもらった。でも、やっぱり痛い。で何回も痛み止めの注射してもらったらこれで限界だと言われストップ。

あれは本当にモルヒネだったのか?プラセボのための偽薬?
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匿名さん

>>17
痛みの種類が違うらしいよ?
末期癌を再現すると、
ひたすら殴られるじゃなくてひたすらキンタマ蹴られ続ければそれに近い再現が出来るらしいけど。
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18

匿名さん

ステロイド、テストステロン、成長ホルモン・・・別の意味で薬漬け。
死期を早めたな。残念な最期だ。
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17

匿名さん

>>8
別に彼は自分で、モルヒネ使わない選択をしただけでしょ。使ってたら意識混濁して家族と普通の会話どころか顔もわからなくなるかもしれない。朦朧としたまま最期まで。
まさしくこの世の終わりの痛みに叫びながらでも、家族の言葉と顔とぬくもりを理解してあたたかく逝くか。治療方針選ぶのも本人でしょ。
だけどこの人は全身ものすごい刺青だらけだし格闘家だし全身痛みには慣れてたんじゃない?って言われても仕方ない。
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16

匿名さん

>>8
結局、死ぬ一時間前には使ってるわけだし別にいいんじゃね?
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15

匿名さん

>>14
たまに見るけど本当におもった。お前は本当に価値ないから今すぐタヒね。心から。すぐ飛び降りろ。
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14

匿名さん

近所に数の子キッコって数の子大好きなヤツいるけどな。
30年前からそのあだ名だからそれをKIDはパクったんだな
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匿名さん

>>8
あなたに同意します
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匿名さん

普通に生活していたって、毎日寝て朦朧となって意識を失ってるのだけどね
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11

匿名さん

俺の父もモルヒネを殆ど使わずに自宅の布団で逝った。
意識が朦朧となるのが嫌で、そのまま途絶えてしまうのが怖かったらしい。
臨終に立ち会った医者は、相当痛かったはずだと言っていた。
緩和ケアは全然悪い事じゃないと思う。受ける側の信条が違っただけだな。
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匿名さん

山本一家
お母さん姿や話聞かないと思ったら亡くなってたんやね

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匿名さん

KIDはモルヒネで意識が朦朧とするのが嫌だっただけで、使う人を悪いと思ったわけではないでしょ
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8

匿名さん

ガンで痛み止め使う人に対して「悪い」「弱い」と言ってるみたいで不快。痛みに耐える事が美徳みたいな考え嫌だな。
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匿名さん

モルヒネは常用すればおかしくなるけど、死ぬ間際に数回使うくらいなら、本来の人格のままじゃあ無いのかな?

それに痛みが酷ければ通常の意識ではいられないわけだし。
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匿名さん

最後激痛で喋れなかっただろうな。
痛み止め要らないって主張できたのが凄いくらい。
モルヒネは頭パーになった人みたいになるからな
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匿名さん

>>2
痛み止めって言ってもモルヒネだから、薬でもとの人格から変化してしまったら自分の最期の時を正常にすごせたことにならないからじゃね?
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3

匿名さん

>>2
もう死にそうなときに、体に悪いからとか言ってられないわな
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2

匿名さん

痛み止めを使うのはどうしてダメなの?
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匿名さん


「ギリギリまで痛み止め使用せず」姉が語る山本KID徳郁さんの「最期」 - ライブドアニュース

9月18日に亡くなった山本KID徳郁さんの追悼番組が12日、放送された。姉である山本美憂が「まだ現実として受け入れられていなくて」と吐露。最期については「ギリギリまで痛み止めを使わなかった」と明かした
9月18日に胃がんのため亡くなった格闘家の山本“KID”徳郁さん(享年41)の追悼番組「BAZOOKA 忘れてたまるか山本“KID”徳郁」(月曜後9・00)が12日、BSスカパーで放送された。姉で格闘家の山本美憂(44)がKIDさんへの思いを語った。

 KIDさんが天国へ旅立ってから1カ月以上が経った。MCの小籔千豊(45)が現在の心境について尋ねると、美優は「まだ受け入れられていないのが正直なところ。母が亡くなったときは凄く悲しくて毎日泣いていた。でも、ノリ(KID)のことはまだ現実として受け入れられていなくて…。たまにふと携帯に入っている写真を見ると“もう会えないんだ”ってパニックになってしまうんです」と吐露。

 最期は家族で看取った。「呼吸はしているけど意識がない状態。ギリギリまで痛み止めを使わなかった。亡くなる1時間前に使っただけで、薬とかは全然使わなくて」と明かした。

 思い出の試合は2004年の大みそかに行われた魔裟斗戦。「魔裟斗くんが試合前に“身体に触れさせない”と言ってて。身長差もあったし、魔裟斗くんが言うんだったらそうなっちゃうのかなと思って、できれば試合をしてほしくなかった。でも触れないどころかダウンをとって。もうそれだけでお姉さん嬉しかったよと。妹の聖子も応援で興奮していた。きょうだいで戦っていた気がしました」と振り返り、「姉ではありますが、いつもノリを見ていてかっこいいなと思っていた」と語った。
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