大手芸能事務所を退社し実業家に転身していた鼠先輩について取り上げている。現在は新宿の飲食店に勤務し、今でも鼠先輩として活動を続けているという。デビューと同時に大ブレイクするが、芸能界に夢は抱いていなかったと語る
2008年にCD『六本木~GIROPPON~』で芸能界デビューした鼠先輩。その後、一度は“引退”を宣言するも、現在は東京・新宿の飲食店「新宿ネズミーランド」に勤務しながら、今でも鼠先輩として活動を続けている。デビューと同時に大ブレイクしメディアから引っ張りだことなるが、やがて姿を消す――。ありがちな一発屋芸人のストーリーかもしれないが、鼠先輩は「もともと芸能界に夢なんて抱いてなかった」と語る。
鼠先輩はデビュー当初から芸能プロダクション・芸映に所属。かつては西城秀樹や岩崎宏美を輩出し、その後も広末涼子、きゃりーぱみゅぱみゅ(業務提携)と、時代ごとにスターを生み出している古参プロダクションだが、同社からも退社していたという。
今回はそんな鼠先輩に、大手芸能事務所所属の一発屋から、浮き沈みを経てフリーランスへと転身した芸能人生を、事業家目線で語ってもらった。
「芸映を退社したのは今年に入ってからだけど、すでに業務提携というかたちを取っていて。ブレイク中はそれこそ寝る間もない日々を送っていたけど、今ではあれもやってこれもやって、店までやってるくらいだから、全売上のなかから芸映に取り分をもらうかたちは取っていなかった。ま、あちらも手を焼いていたでしょうね」(鼠先輩、以下同)
以前バラエティ番組では「最高月収1200万」と豪語していた鼠先輩だが、当時はどのような状況だったのだろうか。
「あの頃はいくらカネを積んでもできない経験をしたな。スケジュールが本当にぎっしりで、子どもが生まれたばかりなのに家に帰るのは1週間に一度、汚れた服と洗濯した服を交換するくらい。睡眠時間も移動中の仮眠ばかりだった。『逃走中』(フジテレビ系)の収録を朝までやって、そのままラジオの収録と取材を数件こなした後、『笑っていいとも!』(同)本番まで2時間空いたから、その間にソープで汗を流して……みたいな感じだったね」
●ショクナイ
栄華を極めた鼠先輩の芸能人生だったが、その期間はほんの3カ月ほどで終わってしまったという。そして現在のスタイルを確立したきっかけには、裏営業、通称「ショクナイ(内職)」の存在があったようだ。
「事務所に黙ってちょっとだけやるヤツとか、報告してやるヤツもいたけど、俺は普通にバンバンやってた。初めのほうこそ怒られてたけど、大体は目をつぶってくれてたからね。俺としてもそのほうが儲かるし、相手(クライアント)も払いが安くなるから喜ぶんですよ。たとえば、事務所を通してギャラが100万だった場合、折半するとして俺の取り分は50万じゃない。事務所を通さなければ、掲示したギャラ80万がそのまま俺に入ってくるし、相手の支払いも安くなると。これを続けているうちに、どんどん声が掛かるようになっていった」
営業先はパチンコ店から知人の結婚式、各企業の忘年会と引く手あまたで、さらには芸能人脈を駆使したブッキングもお手のものだったという。
「最初に始めたきっかけは、友だちの紹介だった。売れてくると裏営業のコーディネーターみたいなヤツがわんさか近づいてくるんだよ。忙しい期間は当然できないけど、スケジュールが落ち着いてきた頃から始めて。営業といえばパチンコが有名だけど、IT企業や建設会社の忘年会なんてのもオイシイ営業先だな。俺がデビューした時はそこまでうるさくなかったし、“組関係”の忘年会に行ってるヤツも多かった」
●独立へ
自分だけでなく他芸能人のショクナイにも協力的だった鼠先輩だったが、芸映とは何度か話し合いを行い、最終的に独立というかたちを取るに至った。
「こうやってショクナイを続けてると、事務所が提示するスケジュールに対応できなくなってきて、不審がられるんだ。それで芸映とは途中から業務提携ってかたちになってた。極論だけど、今は提携してくれる事務所が100社あれば、100社全部と業務提携したいと思ってる」
通常、企業では社員の副業を禁止する規定があるため、個人が所属する企業を介さずに直接仕事を請け負うと問題となる場合が多い。しかし、芸能界では広く行われているという。
「事務所だってある程度はわかってて、大目に見てくれるところも多いもんだよ。ひどいところになると、マネジャーまで裏営業に乗っかって、事務所に黙って自分で(ギャラを)抜いちゃうくらいなんだから。ショクナイはキックバックの宝庫で、タレントと営業先だけじゃなく、その間のマネジャーやコーディネーター、さらには照明とか音声さんまで参加して、みんなでちょっとずつギャラを抜いてるくらいだから(笑)」
●天狗にもならず勘違いもせずだった
こうした抜け目ないショクナイをこなすようになった背景には、デビュー以前に社会人を経験していたことが影響しているという。
「もともと会社に勤めていた人間だし、ブレイクした時もすでに35歳だったこともあって、天狗にもならず勘違いもせずだった。今人気の集団のアイドルグループなんて見てると、ホントかわいそうだと思うよ。中高生の頃から大人にヨイショされ続けて、勘違いしないはずがない。俺は『この祭りはいつか必ず終わる』って最初からわかってた。(デビュー前は)成人向けビデオの制作プロダクションに勤めてた。世間ではその男優だと思われてるみたいだけど、正確には監督で、いろんなメーカーの下請けで撮影をやってた。そのせいか、『NHK紅白歌合戦』の出演がパーになったんだけどな」
芸能界入りするにあたって、制作会社は退職していたというが、デビュー前の職歴が理由で『紅白』の出演が見送られるという事態に発展してしまったようだ。
「ここ数年で多少変わったみたいだけど、やっぱり世の中からすれば『悪いイメージ』だったんじゃないかな。NHKからスケジュールを聞かれたり、リハでステージに立つまでやったんだけど、結局NGが出て。なんでだろうって調べたら、やっぱり職歴が関係してたみたいだな。及川奈央は大河に出てたのに、NHKの基準はよくわからん」
現在はテレビ出演も皆無だが、決して焦りは感じていないという。
「この店だってオーナーは別にいて、俺はいわばマスコット。自分で出資してる事業だったら、今頃とっくに首を吊ってるかも(笑)。俺の収入なんてほとんど酒と女に消えちゃうけど、家にはカネ入れなきゃいけないわけだし、そんな思い切った勝負はやらない。ぶっちゃけて言えば、芸能生活を含めてこれまでの人生、極貧だったなんてことは一度もないからね。安定とはいわないけど常に収入はキープしてるし、大きな話があればすぐに飛びつけるよう準備もしている。今年はちょっとがんばってみるかなって気持ちもあるんで、お仕事のご依頼はホームページからお気軽にメールください」
所属ではなく業務提携にこだわり、また夢を与えるはずの芸能界に「夢を見ない」鼠先輩のスタイルは、現在第一線で活躍するタレントたちの目にはどのように映るのだろうか。