>>46
まず前置きとして加藤の善意は認める。そのうえで、
実際に「へつらう必要性」ってのはLINEの友達関係気にしてる当人、あるいはいじめに加担するかしないかっていう迷いを抱く本人が判断するわけだ。いじめに加担する人間は自分がいじめられたくないからいじめる、いわば「弱い人間」。そういった弱い人間は「必要性がある」って判断するだろうし、これからもそうするんだろうよ。「いじめる人間にへつらう必要はない」っていうテーゼが非凡になるためにはそれを裏付ける根拠を示さないといけないわけだけど、今回はというか、今回「も」そんなもの示せない。そんなの示せたらいじめ問題でみんな頭悩ませたりしない。
そもそもいじめって何なのか。いじめってなんで起こるのか。それはいい歳の大人で構成された「社会」が昔から「自分に都合悪い奴を排除する仕組み」であり続けるからだ。政治においてもそう。国際関係においてもそう。いじめる奴も戦争する奴も自分の言い分や大義が正しいとして、相手を排除することの正当性を信じて疑わない。百歩譲って負い目があったとしても、大義のためには「仕方ない」と見て見ぬふりをする。いまだに国際紛争が後を絶たないが、それに手を差し伸べる人は世界レベルでもごく少数。いじめだって問題視する素振り見せてても、社会の大多数の奴らが他人事。てめーのことで精いっぱい。「内政不干渉だから。当人たちの問題だから。首を突っ込むのはいかがなものか。」結局こういうグローバルレベルの大人のご都合主義といじめ問題における他人事感(=社会の人々が自分の問題として真剣に取り組もうとしない姿勢)が実に親和する現実に鑑みるに、「いじめなんかなくなりませんよ」というほかない。