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プラスピィリビン人。
ピィリピンは親日だと多くの日本人が騙されてるが、真実の歴史を知れば、全く真逆という事が良く分かる。
マニラ大虐殺の真実を多くの人に知って欲しいですね。
奴らは大陸半島の連中と大差なく、日本人をなめ腐ってる。タイ人やベトナム人、インドネシアンとか後進国の連中もそうだけど、日本人は騙され過ぎ。
マニラ虐殺の汚名を着せられた 山下奉文大将、近藤大尉、小田少尉、斎藤中尉、長原少尉、野口大佐、林中佐、すべての犠牲者の御霊に捧ぐ 【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード 陸軍省 第四十一軍司令部 在留日本人の老幼婦女子が逃げ惑い、 夫の名を、子を呼び、親をもとめ、巷から巷を走る。まったくの阿修羅、阿鼻叫喚──。 しかも戦線は日毎に縮少され、追いつめられた。 悲劇はこれにとどまらなかった。 米軍の鉄環がジリジリと縮められていくにしたがい、当時も親米親中が多く、数多の市民からなるピィリピン人ゲリラらが米軍に呼応し、 勝手知った市街に潜入し、日本軍残存将兵の背後から襲い、老幼婦女子の惨殺をしはじめた。
ゲリラに掴まったが最後、たとえ幼児といえど、それが日本人である限り容赦しなかった。
「みろ! マニラを脱出できず、集団軍の後方に逃げられぬ日本人老幼婦女の無惨な最後を、だから敵抑留市民をも全滅させておくべきだったのだ!」
「かつての尼港事件、通州虐殺事件の比どころか、この大量虐殺になにをもって報いたのだ。ひとりよがりの人道主義など糞くらえだぞ」
出典:1957(昭和32)年 日本文芸社 「現代読本 第二巻第六号 われら学徒かく戦えり」所収 元第四十一軍司令部附 陸軍軍曹 池田純宜 「マニラ戦で敵婦女子を救った八人の学徒将兵 敵陣に燦たり青年武士道
マニラ市内には約70万人のマニラ市民が残っていた。その多くがアメリカ軍に協力的で、直接ゲリラとして日本軍と戦闘するものもいたという。
3月3日に戦闘終結が宣言されたが、それまでに生じた市民の犠牲者が約10万人とされている。
マニラ大虐殺