安倍晋三元首相が殺害されるという衝撃的な事件が起きた昨日、テレビは当然のことながらその事件報道一色に染まった。しかしその報道には4つの大きな違和感があった。
(1) なぜ「宗教団体」の名前を明かさないのか
考えうるとすれば、局として「宗教団体側には何も責任がないから」ということに配慮して、もう少し供述内容が明らかとなって宗教団体と犯行動機との関連性が深まるまで様子をうかがっている可能性だろうか。
あるいは、「安倍元首相とその宗教団体との関係がはっきりしない」ということに配慮している可能性だ。変にその宗教団体の名前を出すことによって「安倍元首相はあの宗教と関係があったのか」と思われてしまう可能性を恐れているのかもしれない。
しかし今回の場合、事件の犯行動機は「宗教団体への恨み」と報道されているから、この団体の名前を明らかにし、またその宗教団体に取材をしなければ事件の真相解決にはつながらない。そこにもし「配慮や忖度」が働いているとすれば、それは少しおかしいのではないかということになる。
やはり本来であれば宗教団体の名前を明らかにし、宗教団体側の取材もきちんと行ってその内容も併せて報道し、もし安倍元首相とその宗教団体との関係が明らかでなければ、その旨もきちんと報道すれば良いだけのことである。
(2)今回の事件は「言論の自由や民主主義への挑戦」という問題?
「宗教団体へ個人的な恨み」が犯行動機であれば、それは個人的な怨恨による犯行だと言ったほうが適切かもしれない。だとすれば、安倍元首相を殺害するのはほぼ「逆恨み」であると言って良いだろう。
(3) 事件の報道時間が長すぎる
いくら、警察署や事件現場、そして安倍元首相の自宅前などから生中継をしても更新される情報は乏しい。
となると、繰り返し事件発生当時の視聴者提供映像や写真などを流すしかない。そうすると、繰り返し安倍元首相が銃器で撃たれる前後の映像が流されることになる。これは結果的に、視聴者に恐怖の感情や不安感を植え付ける。中には衝撃的な映像を繰り返し見てショックを受け、トラウマのようになってしまう人も出てくることになりかねない。
(4)各局揃って「喪服」はやり過ぎでは
喪服を着るのは、例えば「追悼番組」のような場合に限られるのではないか、と私は思う。あまり通常「ニュース番組でキャスターに喪服を着させる」という判断はしにくいのではないかとニュース番組のプロデューサー経験者として思うのだ。