運動会で足の遅さを「見えない化」する配慮は子供のためにならない…「競争の場が減りすぎた」日本の大問題

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24コメント

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匿名さん

いうまでもなく適度な競争は必要だと思うよ。
社会に出たときにはじめて競争に晒されるのでは挫折する人が続出して良くない。
カネ・セックス・マウントへの欲望を自他共に認めた所から人間の健全な成長は始まる。
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匿名さん

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ゆとりはともかくZ世代は優秀な子が多いよ
若い子と関われない孤独なおじは何で若い子に嫌われがちなのか自己分析してみよう
きっと有意義なものになる
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匿名さん

ゆとり(から以降も)は失敗作だからなwww
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匿名さん



運動会で足の遅さを「見えない化」する配慮は子供のためにならない…「競争の場が減りすぎた」日本の大問題 大人が用意すべきは「無風地帯」でなく「安全地帯」である

近年、学校で多く取り入れられているタイム順(同じくらいのタイムの子たちで走る)の徒競走は子どものためになっているのか。スクールカウンセラーの藪下遊さんは「足の速い子どもは『自分は足が速い』という自己規定を持ちにくくなり、足の遅い子どもが『自分は走るのが苦手』という現実に触れる体験が薄まる。子どもたちが生きていくうえで、『自分はどんな人間なのか』を認識できるように現実を提示することは大切であり、比較や競争を取り除くことがよいとは言えない」という――。
■「配慮」によって失われる体験

スクールカウンセラーの藪下遊さんは「足の速い子どもは『自分は足が速い』という自己規定を持ちにくくなり、足の遅い子どもが『自分は走るのが苦手』という現実に触れる体験が薄まる。子どもたちが生きていくうえで、『自分はどんな人間なのか』を認識できるように現実を提示することは大切であり、比較や競争を取り除くことがよいとは言えない」という――。

■大人が用意すべきは「無風地帯」でなく「安全地帯」

 もしかすると、誰の目からも明らかな「差」を見せること、不快な感情を引き起こす「現実」に触れることが「可哀想だ」という意見を持つ人もいるかもしれません。しかし、それは子どもを弱い存在と考えすぎです。子どもたちは確かな支えがあれば、自分の現実に向き合い、それを受け容れていく力を備えているのです。
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