ラブホテルの歴史を変えた「目黒エンペラー」 お城の形の元祖

ラブホテルの歴史を変えた「目黒エンペラー」 お城の形の元祖

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匿名さん

やれれひはちは??
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匿名さん

シースルーのゴンドラが想像つかない
憧れと恥じらいを孕んだだなんて!
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匿名さん

うわ〜〜懐かしい〜このラブホ10年前によく行ったわ〜〜。退職金から1000万やるから俺の女になれといつも言ってた爺さん生きてるかなw
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匿名さん

ん?
そのラブホテルの元祖が閉鎖するとかそういうニュースじゃないの?
なんでまた急にピックアップした?
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匿名さん

ラブホテルを語るうえで欠かせないのか知らんけど、ラブホテルを語ることはないしラブホテルの歴史とやらもどうでもいい(笑
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匿名さん

暴走族のチーム名かと思った
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匿名さん

エンペラー星人
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匿名さん

>>3
やめてくれ!
人の善意をネコババして建てた家なんか(笑)
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匿名さん

ラブホテルの歴史を変えた「目黒エンペラー」 お城の形の元祖:コメント3
似てるかも
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匿名さん

エンペラー吉田
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1

匿名さん


ラブホテルの歴史を変えた「目黒エンペラー」 お城の形の元祖 - ライブドアニュース

ラブホテルの歴史を変えた「目黒エンペラー」について、女性セブンが報じた。「お城」がラブホテルを表すものとなり、全国に城が建つ現象が起きたという。ラブホテルという呼び名の定着も、深夜番組に登場したことがきっかけだそう
 昭和48年に創業したラブホテルの老舗『目黒エンペラー』(東京・目黒区)は、“お城”という奇抜な外観で、多くのテレビや雑誌に登場した。その後、日本各地にゴージャスなラブホテルが次々と建ち、連日盛況を極めた。

 かすかな憧れと恥じらいを孕んだ性愛空間、あの懐かしい場所は、2020年東京五輪までにどう変わっていくのか――。昭和ラブホテルの変遷と“今”を取材した。

◆東京・目黒に現れた“城”が歴史を変えた

「目黒エンペラーは、日本のラブホテルを語る上で外せない歴史的な存在です。当時は深夜番組をはじめマスコミで大々的に取り上げられ、そこに泊まるのが若者たちのステイタスでした」

 こう語るのは、『ラブホテル進化論』(文春新書)などの著書がある、神戸学院大学講師・金益見(きむ・いっきょん)さんだ。

「目黒エンペラーが登場した昭和48年当時は、電信柱に貼り紙するくらいしか宣伝方法がなかったんです。それが、建物をお城の形にしたらひと目で分かるわけです。建物そのものがラブホテルを表す暗黙のメッセージとして、広告になった。これ以降、全国に城が建つ現象が起きました」

 総工費6億5000万円という豪華な建物と話題性で、当時マスコミがこぞって取り上げた。バブル時代へと続くラブホテル隆盛時代の幕開けだった。ラブホテルという呼び名が定着したのも目黒エンペラーが深夜番組で取り上げられるようになってからといわれる。

◆古くは連れ込み旅館 名前を変えて進化

 戦後間もない頃は、男性が女性を連れ込む“連れ込み旅館”、宿に付けられた温泉マークから“逆さクラゲ”などの隠語で呼ばれていた。

【ラブホテル呼称の変遷】
1940年代 「連れ込み旅館」
1950年代 「温泉マーク」「逆さクラゲ」
1960年代 「スリーエス」
1970年代 「モーテル」「ラブホテル」
1980年代 「ファッションホテル」「レジャーホテル」など
2000年代 「ラブホ」

「昭和のホテルには、これは何のために? という面白い装置がたくさんありました。意匠を凝らしたベッドやお風呂、かつて目黒エンペラーにはシースルーのゴンドラがあった(笑い)。昭和の時代にお金をかけて作った一見無駄とも思えるものこそ、人々を豊かな気持ちにさせてくれていたんだと思います」(金さん)

 まだラブホテルという呼び名が生まれる前から続く、昭和ロマンを感じられる建物も現存する。大阪の『ホテル富貴』は、築50年を超えてなお、根強いファンがいる。

※女性セブン2016年11月17日号
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