未解決の事件を書いていき犯人は誰か推理してみる

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匿名さん

まずこれ

四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件
四日市市のジャスコ四日市尾平店(現:イオン四日市尾平店)にあるATMコーナーで、
子ども連れの若い女に泥棒扱いされた無実の68歳の男性が、
店員や買い物客ら3人に取り押さえられ、居合わせた四日市南警察署の警官の拘束後に死亡した。

男性の死因は「高度のストレスによる高血圧性心不全と不整脈」と発表されたが、
この「ストレス」は逮捕・制圧の際の精神的・肉体的苦痛によるものと推測される。

店員や買い物客が男性を制圧している隙に女は逃走しており、
警察は虚偽告訴罪の被疑者として捜査を続けていたが、
2011年(平成23年)2月17日午前0時に窃盗未遂事件としては公訴時効となった。
三重県警察は翌18日、被疑者死亡のまま男性を書類送検した。

三重県警察は2005年(平成18年)2月17日に現場の監視カメラに映っている画像を公開した。
容疑事実を特定できないままに画像を公開することはグリコ・森永事件以来の異例の措置である。

四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件 - Wikipedia

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匿名さん

ワラビ採り殺人事件

直接の死因は主婦A(当時43歳)が絞殺、主婦B(当時32歳)が刺殺。
どちらも金を奪われた形跡はなかったが、主婦Aの衣服のポケットから

オワレている たすけて下さい この男の人わるい人

と鉛筆で走り書きをした、勤務先のスーパーのレシート(日付は事件当日より2日前)が発見される。だが、どちらの荷物にも衣服のポケットにも、この鉛筆がなかった。
後日の捜索で、殺害現場から少し離れたところで芯の先端だけが見つかっているが、
鉛筆そのものは見つからなかった。

主婦Aは全身30箇所以上も殴打され、肋骨が折れて、肝臓が破裂しており、
主婦Bは全身50箇所以上も殴打され、包丁が体に突き刺さったままだった。
警視庁の鑑定結果によると、犯人の血液型はO型と判明している。

犯行現場は、殺された主婦たちのように、ピクニックがてら山菜採りに地元の人が訪れているようなところだったが、犯行発生前から木や竹が生い茂り、昼間でも薄暗いところが多く、レ●プ事件も発生していた。

遺留品は主婦Bの遺体に突き刺さっていた包丁一本のみで
指紋は検出されず、販売ルートも解明されずじまいだった。
有力な手がかりのないまま、1994年5月24日に公訴時効が成立した。

--- 長岡京殺人事件 - Wikipedia ---

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匿名さん

三億円事件真相
三億円事件は当時最盛期を迎えていた学生運動(70年 安保闘争)を
潰すために公安警察が仕組んだとする説。

犯人は白バイに乗る警察官を装っていたとされるが、大量の証拠を残しておくことで
逆に捜査の目をくらませる等、警察の捜査の仕方を熟知していた点、
三億円強奪という史上空前の規模の被害を受けたにも関わらず、
被害者である東芝府中工場の資金は保険金で補われ、保険会社も外国へ
再保険を掛けており、結局日本国内では誰も損をしていない点等から、
犯人は警察内部の者である、という主張。

実際、警察は事件直後から事件現場一帯を中心に学生運動のアジトを一斉検挙し、
これを一網打尽にしており70年安保闘争は壊滅した。
それとほぼ同時期に三億円事件の捜査陣も縮小されている。
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匿名さん

アメリカ 箱の中の少年

遺体は1957年2月25日、ペンシルベニア州フィラデルフィアの北東部にあるフォックスチェイス地区(Fox Chase)において、全裸で段ボール箱の中に入った状態で発見された。遺体には体中いたるところにあざがあった。

遺体は発見時、J.C.ペニーで販売された揺り篭の段ボールの空き箱内に、毛布に包まれた状態で遺棄されていた。遺体を発見した男性は、発見現場付近にマスクラット捕獲用の罠を仕掛けていたため、発見時はその具合を調べていたと主張していた。後にその男性は、遺体発見時、近くの女学校の生徒たちへののぞきをおこなっているところで、それが彼の習慣になっていたと明らかにした。

事件はフィラデルフィア一帯のマスコミの注目を集め、情報提供を呼びかける少年の写真入りポスターは、フィラデルフィア中のガソリンスタンドに貼り出された。しかし、そのような事件当時の呼びかけや、長年の事件に対する断続的な関心にもかかわらず、犯人はおろか少年の身元も依然不明である。


--- ボーイ・イン・ザ・ボックス - Wikipedia ---

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匿名さん

八王子スーパー強盗殺人事件
1995 年7月30日午後9時15分から20分頃、八王子市大和田町のスーパー「ナンペイ大和田店」の2階事務所に拳銃強盗が押し入り、3人を殺害。 被害者は、パートの女性A(47歳)、アルバイトの女子高生B(17歳)と女子高生C(16歳)の3人(年齢は、いずれも事件当時)で、犯行時間は数分間 (被害者Aの知人が、迎えに来るまでの間)。犯人は何も奪わずに逃走している。金庫を開けようとした形跡はなく、その他の貴金属類にも手をつけておらず、 金銭目当てではない可能性もある。女子高生2人は粘着テープで口を塞がれ、互いの右手と左手を縛られ、至近距離から後頭部に1発ずつ発砲され、即死の状態 だった。パートの女性は、体は縛られておらず、銃把で殴りつけられ、金庫の前に突き飛ばされ、女子高生殺害後、左右の額に銃口を押し付けて死亡した。

使用された拳銃は、フィリピン製のスカイヤーズビンガム。

強盗説と怨恨説の両面があるが、捜査本部は強盗説を重視して捜査している。殺人罪など最高法定刑が死刑の罪について、公訴時効を撤廃した上で遡及適用する改正刑法及び刑事訴訟法が2010年4月27日に施行された。本件も対象となり現在も捜査が続けられている。

--- 八王子スーパー強盗殺人事件 - Wikipedia ---

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匿名さん


10578-245718-1


加茂前ゆきちゃん行方不明事件
 『ミユキ カアイソウ カアイソウ』

1991年3月15日、三重県の加茂前芳行さんの三女・ゆきちゃん(当時8歳)がこの日夕方、自宅から
突然姿を消した。 事件から3年後一家に怪文書が届く。非常に不気味な文書で、内容は支離滅裂。
・加茂前ゆきちゃん行方不明事件 


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匿名さん

島根女子大生死体遺棄事件
島根女子大生死体遺棄事件(しまね じょしだいせいしたいいきじけん)は、2009年(平成21年)11月6日に発覚した死体遺棄事件。浜田事件、浜田学生遺棄事件、島根女子大生殺害事件、島根女子大生バラバラ殺人事件と記載されることもある。
2012年10月26日の死体遺棄罪単体での公訴時効成立後も容疑を殺人罪に切り替えて捜査が行われていた。長らく未解決であったが事件から7年が経った2016年12月、捜査機関は過去に事故死していた人物が被疑者であると特定した。



--- 島根女子大生死体遺棄事件 - Wikipedia ---

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匿名さん

ガソリンスタンドの屋根に女性遺体、首にロープ
16日午後6時ごろ、鳥取県境港市福定町にあるガソリンスタンドの屋根に人が倒れていると、隣接する会社の男性社員から110番通報があった。境港署員が確認したところ、20~30代の女性が首にナイロン製のロープが巻かれた状態で死亡していた。
死後数日たっているとみられ、県警は殺人事件の可能性が高いとみて、女性の身元などを調べている。現場は、境港(さかいこう)の近くの住宅街。
ガソリンスタンドは数年前に閉店しており、 建物の屋根の高さは約3メートル。通報した男性は隣接するビル2階の窓越しに女性の姿を見つけたという。
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匿名さん

パラコート連続毒殺事件とは、1985年(昭和60年)4月30日から11月17日の間に日本各地で発生した、主にパラコートを用いた無差別毒殺事件。全て未解決。
当時監視カメラもなく、物証もほとんど残っていなかったため、犯人は逮捕されないまま迷宮入りした。なお同一人物による犯行だったのかどうかは不明である。
関連事件34件(模倣犯を含む)のうち、13人が死亡した。
全国各地の自動販売機の商品受け取り口に、農薬を混入したジュースなどが置かれていた無差別殺人事件。毒物の混入された飲料を置き忘れの商品と勘違いさせ、それを飲んだ被害者が命を落とした。当時は、瓶で販売されている飲料のキャップは構造上、開封と未開封の区別が付きにくかったため、一旦開封し毒物を混入した上で、キャップを戻しても一見目には、そうと分からない事が多かった。

9月27日、東大阪市の自販機
中学生が、ドリンクを飲んで「変な味がする」と警察に訴えて入院。後に、自らが殺虫剤を混入し、飲んだことが判明。
動機は、「連続事件の犠牲者として入院すれば、同情したクラスメイトらが見舞いに駆けつけてくれる」というもの。



しかし誰も見舞いに来なかった。





--- パラコート連続毒殺事件 - Wikipedia ---

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匿名さん

パラコート連続毒殺事件とは、1985年(昭和60年)4月30日から11月17日の間に日本各地で発生した、主にパラコートを用いた無差別毒殺事件。全て未解決。
当時監視カメラもなく、物証もほとんど残っていなかったため、犯人は逮捕されないまま迷宮入りした。なお同一人物による犯行だったのかどうかは不明である。
関連事件34件(模倣犯を含む)のうち、13人が死亡した。
全国各地の自動販売機の商品受け取り口に、農薬を混入したジュースなどが置かれていた無差別殺人事件。毒物の混入された飲料を置き忘れの商品と勘違いさせ、それを飲んだ被害者が命を落とした。当時は、瓶で販売されている飲料のキャップは構造上、開封と未開封の区別が付きにくかったため、一旦開封し毒物を混入した上で、キャップを戻しても一見目には、そうと分からない事が多かった。

9月27日、東大阪市の自販機
中学生が、ドリンクを飲んで「変な味がする」と警察に訴えて入院。後に、自らが殺虫剤を混入し、飲んだことが判明。
動機は、「連続事件の犠牲者として入院すれば、同情したクラスメイトらが見舞いに駆けつけてくれる」というもの。しかし誰も見舞いに来なかった。



--- パラコート連続毒殺事件 - Wikipedia ---

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匿名さん

広島一家失踪事件
広島県世羅町。岡山県との県境に近い山間の町で不可解な事件が起こった。同町に住むYさん一家がペットの犬とともに忽然と姿を消したのだ。
奇妙なのはYさん宅の様子。玄関の鍵は締まっており、侵入や争った形跡、血液反応もない。ただし勝手口の鍵は開いていた。J子さんの旅行代金や定期預金通帳も手つかずで残っていたことから、強盗などは考えにくい。Yさんの車がなくなっていたことから、その車で出かけたと思われるが、J子さんやCさんの携帯電話や免許証は残されおり、玄関からは4人分のサンダルが無くなっていたが靴はそのまま。J子さんが行くはずの旅行に持っていくであろう鞄が準備されていた。
翌朝の朝食が虫除けネットをかけた状態で準備してあったことを考えると、失踪は想定外の突発的な出来事であったと想像できる。ペットの犬も一緒に姿を消してしまっていることが拉致の線を薄くさせている。

未解決事件
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匿名さん

内閣府職員変死事故 とは、2014年1月20日に福岡県北九州市若松区沖の響灘において、内閣府の職員とされる男性(当時30歳)が遺体で見つかった事故。9月2日、第七管区海上保安本部 (七管) により、事件性なしとして捜査の終結が発表された。


週刊誌などでは職員に愛人の存在が示唆され、日本に居た妻との間でトラブルを抱えていたという公安関係者の証言が掲載された。同関係者によると、職員には結婚前から付き合っていた本命の交際相手がいながら別の女性を妊娠させ結婚をしたが、本命の女性と復縁するために日本に密入国し、邪魔な存在となった妻を殺害しようと企てていたという。真冬の対馬海峡をゴムボートで渡るという無謀な計画を行った理由は、日本にいないはずの人物が犯人として疑われることはないと考えた上での計画だったのではないかと同関係者は推測した。公用旅券は赴任・帰任の一次旅券がほとんどであるため自由に帰国することができず、会議参加を名目に韓国へ渡りそこから日本へ密入国しようとしたと考えれば納得がいくという。また、事件当初韓国政府も自国で活動していた日本のスパイが秘密裏に脱出したと本当に信じており、調査して発覚した事件の真相を韓国情報関係者に説明したが、なかなか信じてもらえなかったという。


--- 内閣府職員変死事故 - Yourpedia ---

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匿名さん

幽霊のような存在がぼんやりと
008年に撮影されたとされる酒井容疑者と高相容疑者の写真で、その写真をよく見ると酒井容疑者のうしろに立つ幽霊のような存在がぼんやりと。
なお、この動画はYoutubeからすでにすべて削除されている。


10578-245738-1
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匿名さん

神霊スポット坪野鉱泉行方不明事件

坪野鉱泉へ「肝試しに行く」と1996年5月5日、乗用車で家を出た氷見市に住む当時十九歳の少女2名が行方不明になった。
行方不明に なっている氷見市内の会社員A子さんとスーパー店員のB子さんは、 友達から、元ホテル坪野跡地が 「肝試しの場所」となっていることを知らされている。
二人はその日、スーパー店員のB子さんは、 勤め先で懐中電灯の電池を購入。アルバイト店員に「今晩、肝試しに行こう」 と誘ったが、断られ、A子さんに電話している。同日深夜、「今魚津市にいる」 というメッセージを友人のポケットベルに送った二人。その後の足取りは、何も分かっていない。
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匿名さん

明かりをつけましょぼんぼりに〜♪
西安義行さん行方不明事件

1987年(昭和62年)3月15日
兵庫県市島町(現:丹波市)の自宅から、
高校時代の友人(石川靖さん)と京都府舞鶴にドライブに出かけ、「海を見て食事をして帰り、西安さんは、綾部駅近くで『列車で帰る』といって降車」した。

1時間後、西安さんは、「無事着いたか?」と春日町(現:丹波市)の友人(石川さん)宅に電話。
その後の消息が不明。

失踪当時42歳

失踪後、不審な電話や訪問があった。

1、男性の声で「僕、学校の横」という不審電話。
  1987年5月、母の久子さん(68)が電話を取ると、小さな声で「僕、学校の横」と聞こえた。
  震える声の主は息子と思えた。「義行やろ」。声をかけると、電話は切れた。

2、女児の声で「明かりをつけましょ ぼんぼりに〜」という不審電話。
  1993年3月ごろ、女児がたどたどしく「歌うから聞いて」と告げた。
  「明かりをつけましょ ぼんぼりに…」
  ふと思いつき久子さんは問うた。「あんた、義行の子か?」
  返事はなかった

3、地下足袋を履いた2人組の訪問。
  1998年、地下足袋を履いた2人組が近所の区長宅を訪問し、
  「西安義行の両親の家はどこか」と尋ねる。
  二人は「西安さんが結婚する相手の近所の者」と名乗った。

4、20年後の不審電話
  2007年11月、女の子が「圭子さんはおられますか」と電話してきた。
  留守を告げると、電話は切れた。


--- 日本未解決事件: 明かりをつけましょぼんぼりに〜♪ ---

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匿名さん

そんな話題より
今年の夏をもっと楽しもうぜ

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匿名さん

せんぶ長すぎ。めんどくさい。
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匿名さん

主は、コピぺ書き込みごっこが趣味ですから
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匿名さん

>>5
何一つわからないとかこわい
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