匿名さん
岩野さんの幼かった頃のエピソードと若くして焙煎士になったことからは、天賦の才を持ったコーヒー少年がなるべくして焙煎士になった、というイメージが頭に浮かぶ。15歳のコーヒー焙煎士・岩野響さんに聞いた「僕が学校をやめて焙煎士になった理由」 - メシ通
岩野響さん、15歳。職業は、コーヒー焙煎士 中学2年生の時にコーヒーの焙煎を始め、卒業後は高校に進むことなく、群馬県桐生市の自宅に焙煎所を兼ねたお店をオープン。 持ち前の鋭い嗅覚と味覚をいかして焙煎されたコーヒーは地元で評判を呼び、ネットの記事がきっかけで市外からのお客さんが訪れるようになった。 1週間ぶんの豆を1日で売りきるという大盛況ぶり。 焙煎への熱意と独学で身に付けた技術は、あの伝説の大坊珈琲店の大坊勝次氏も一目を置いているという。 15歳という若さで焙煎士になった岩野さんはどんな少年なんだろう? コーヒー焙煎の道に進んだ経緯。 焙煎士としての毎日やコーヒーに込める思い。 そして、15…
でも、話はそうスムーズじゃない。
中学生の時に試練がやってきた。
学校に行けなくなったのだ。
原因は岩野さんの障がいにある。
アスペルガー症候群だ。
小学生の時には「ちょっと変わった男の子」くらいで認められたのが、中学生ともなるとそうはいかない。
「頑張ってもまわりの子達と同じようにできないことが目立つようになった。
宿題とか板書ができないんですよ。僕は本を読むのは好きだし文字も書けるんですけれど、いろいろ試したけどできない。できるはずなのにできないっていう感じが苦しかった。「なんでなんだ?」って。」
そこから岩野さんの模索が始まる。
家事から始めて、叔父さんの家業の土木作業や、両親の仕事の手伝い等々。
「自分にできること」を探すなかで、自分の味を作れるスパイスカレー作りにハマり、隠し味としてのコーヒーに改めて出合う。
その縁から知人に手動式の焙煎機をもらい、コーヒーの焙煎を始めた。
中学2年生の夏のことだ。
現在は毎日11時間、焙煎機の前に立つ日々を送っているそう。