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メリーさん
かつて日本の横浜で目撃された老女
曖昧さ回避 この項目では、横浜で目撃された老女について説明しています。彼女をモデルにした映画については「ヨコハマメリー」を、都市伝説については「メリーさんの電話」をご覧ください。
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メリーさん(本名非公開、1921年[1]- 2005年1月17日)は、横浜の中心部でしばしば目撃された老女。歌舞伎役者のように白粉を塗り、フリルのついた純白のドレスをまとっていた。終戦後進駐軍兵士相手に身体を売っていた「パンパン」と呼ばれる娼婦だと噂されていた[2]。
来歴・生涯 編集
岡山県出身。実家は農家で、女4人、男4人のきょうだいの長女として生まれる[3]。
実弟の話によると、地元の青年学校を卒業後国鉄職員と結婚。その後戦争が始まり軍需工場で働きに出るが、人間関係を苦に自殺未遂騒動を起こす。この出来事が原因で結婚からわずか2年で離婚。子供はいなかったという[4]。戦後、関西のとある料亭(実際は米兵相手の慰安所だった)で仲居として働いた後、そこで知り合った米軍将校の愛人となる。彼に連れられ東京へ出るが、朝鮮戦争勃発後、現地へ赴いた彼は戦争が終結するとそのまま故郷のアメリカへ帰り、日本には戻らなかったという。
取り残された彼女はその後横須賀を経て横浜へと移動し、米兵相手の娼婦としての生活を始める。以後在日米軍基地に数十年間長期に渡り居住した[5]。中村高寛監督の映画『ヨコハマメリー』によると来浜の時期は1963年とのことだが、檀原照和著『消えた横浜娼婦たち』によると1955年にはすでに伊勢佐木町で目撃されていた、という。
彼女の存在が注目されだしたのは、1980年代に入ってからである[6]。折しも「なんちゃっておじさん」や「歌舞伎町のタイガーマスク」など、町の奇人たちがメディアに取り上げられていた時期と重なる。
その後1990年代の半ばに、横浜の街から姿を消した。その時期は映画『ヨコハマメリー』では1995年初冬、書籍『消えた横浜娼婦たち』によると1996年の11月だという。
晩年は故郷の老人ホームに入居。2005年1月17日、死去[7]。84歳没。