匿名さん
それにしても、使ってもいない、これから必要になることもない、と百も承知なのに、こんなに捨てられないモノがあるのはなぜなのだろう。「あの人からもらったから」ならば、まだよい。「高いお金を出したから捨てるには惜しい」「あわよくば売れないかしら」とか、そんなさもしい考えが頭をもたげる。つまり、お金の問題なのである。富裕層と貧困層の部屋の違いは? 不必要なものを捨てていくうちに、気づいたこと|読者体験手記|婦人公論.jp
せっかく気分が乗って片づけできたのに、あとになって、なぜか悔いることも。それは、自分が「モノ」以上の何かを捨てたのでは……、とふと我に返るからかもしれません
ある片づけ本で、ドラマや映画の美術担当の方の話を読んだことがある。「貧しい家庭を表現する時は、棚や床をモノで溢れさせて生活感を出す。一方、裕福な人の部屋は、余計なモノを置かずにすっきりさせることによって、経済的余裕を表現する」といった内容だった。
モノを捨てていくうちに、その理由が自分なりにわかった気がする。それはお金の苦労が多いと、ありのままの自分から目を背けるため、いらないモノの存在を認められなくなるからだろう。「今、私がこんなに大変なのは政治のせい」というふうに、苦しみの原因を己の内側ではなく、外側に求めてしまう。結果、自分の問題点を知る努力もしないし、必要なモノ、不必要なモノを冷静に判断することもできなくなる。