匿名さん
大切な人を失くした人、命をかけて救助に向かう人、そして生き延びた自分。「なぜ自分が撮ってしまったのか」 津波を生中継した元NHKカメラマンは 今も葛藤の中で生きる【東日本大震災】
2011年3月11日、NHKのヘリコプターからの中継映像は、海沿いの町をのみこむ津波を克明に捉え続けていた。カメラを握っていたのは、当時、NHK福島放送局の報道カメラマンだった鉾井喬(ほこい・たかし)さん。入社1年目、その日がまだ5回目のフライトだった。 ※この記事には津波の描写があります
「たくさんの人が亡くなっている中で、自分は、一番安全な場所にいて、撮影をしただけだ」
映像が数々の賞を受賞するたび、葛藤は大きくなっていった。また、被災地と東京を行ったり来たりするうち、「安全圏」にいる自分に、違和感が芽生えていった。
NHKに就職し、一度はアートから離れた鉾井さんだが、再び“見えないもの”に翻弄されている自分を感じたのが、原発事故だった。
「アートは、作品を受け取った人それぞれが、色んなことを考えればいい。今の福島に必要なのは、“正しさ”を押し付けるよりも、考えるきっかけを投げかけ続けることだ」
アートの世界に戻った鉾井さんは2016年、震災後の福島をテーマにした短編映画を発表する。
「福島桜紀行」。沿岸部から内陸へと進む桜前線を追いかけ、桜とそこに集う人々を見つめたドキュメンタリーだ。
震災から10年。福島と福島以外の地域での温度差も少しずつ感じている。
廃炉作業が終わるまで、日本が避けて通れない問題なはずなのに、やはり福島以外の人にとっては、自分の問題として捉えづらい面もある。
「どうしても『10年』という時間軸に注目が集まるが、ただの通過点。10年という時間が、心の中の何かを消化してくれたことはない」
しかし、10年たったからこそようやく分かったこともある。
「一人のアーティストとして、自分は、過去の体験や気持ちを作品に込めていく。その創作の過程で、葛藤を整理できることで作品が生まれたり、作品が生まれることで葛藤に整理ができたりすることもあるかもしれない」。