匿名さん
彼ら彼女らの言い分は大体が「自分はこんな不況の中でも努力して生き抜いてきた、だからそうできないのは努力が足りないせいだ」という生存者バイアスの典型的な例。「親ガチャ」という言葉に怒る人が知らない“貧困家庭の悲惨すぎる現実”とは | 文春オンライン
「親ガチャ」という言葉がTwitterトレンドに入るほど流行していたとき、興味があってワード検索をかけてみると、ネガティブな反応や嫌悪感を露わにしているつぶやきが非常に多かった。例えば「生んでもらった…
努力さえすれば、貧困家庭出身でも起業して高収入を得ることが可能だというのだ。ソフトバンクグループの孫正義氏やパナソニック創業者の松下幸之助氏、起業家の家入一真氏などがその好例である。
数十万人に一人いるかいないかの稀有な例を持ち出して、残りの「成功し得なかった」数十万人の存在に目を向けないというのは、あまりにも非現実的な論理ではないだろうか。
《中略》
貧困家庭に育った私の場合、親の言いつけで高校卒業後すぐに働こうとしていた私に、進路担当の先生が「できるなら大学に行った方がいい」と説得してくれたことで、奨学金約400万円を機関保証で借り、その中から学費や実家の生活費を補填することでようやく大学に進学することができた。
もちろん親からは大反対され、「大学に行ったって何になるのか。お前が働いてくれないとこの家はどうなるのか」と泣かれた。貧困家庭では、大学への進学は贅沢であり、身の丈に合わないものだと認識されているのだ。
学生時代、アルバイトを4つ掛け持ちして、早朝6時からのバイトを終えて授業に向かい、授業が終わればすぐに次のバイトへ向かい、終電間際に帰る毎日を過ごした。土日も一日中バイトをしていたため、過労とストレスで倒れてしまったこともある
大学卒業とともに数百万円の借金を背負わなくては中流家庭以上の子どもと同等の教育を受けることができないこと自体がそもそも「教育格差」である。
そうした家庭に生まれ育った子どもに対して、よりによって文部科学大臣が「身の丈にあった受験を」と言い放ってしまう始末である。
「親ガチャに失敗した」子どもたち、若者たちから世の中への不満が噴出するのは、当然の結果だと思う。