匿名さん
■軽薄で最強な「めちゃモテ」ファッションただの「モテ」ではなく「めちゃモテ」…2000年代半ばに起こった空前の“エビちゃん”ブーム、『CanCam』はなぜ“赤文字系雑誌”で一人勝ちできたのか | 文春オンライン
蛯原友里、押切もえ、山田優ら、数々の人気専属モデルを抱え、赤文字系雑誌の一角として数多くの女性たちからの支持を集めた『CanCam』。2000年代半ばには発行部数80万部を超えるほどの爆発的なブームと…
2000年代半ば、「JJ」「ViVi」「Ray」と並ぶ4大赤文字系雑誌の一つであった「CanCam」の発行部数が最大で80万部超という一大ブームを巻き起こした
■「万人にちょっとずつ愛されること」を目指す
仏文学者であり、2011年までは関西のファッションを牽引する神戸女学院大で長く教鞭をとっていた内田樹は、当時の学生とのやりとりからこの「めちゃモテ」とはどんな状態かについて著書の中で分析する。
”ただの「モテ」ではない。「めちゃモテ」である。「めちゃ」という副詞部分にこの雑誌のコンセプトの卓越したオリジナリティはある。『JJ』のファッション戦略が「本命男性ひとりにとことん愛されること」であるのに対して、『CanCam』のめざすところは「万人にちょっとずつ愛されること」である。
だから、「めちゃモテ」のターゲットは必ずしも結婚対象の男性だけとは限らない。
例えば、女子アナがみな『CanCam』系「めちゃモテ」ファッションでまとめているのは「子どもからお年寄りまで幅広く受け入れられるためではないか」”
女性たちは自己目的的に『モテ=かわいくなること』を追求する
…それは一方では社長夫人を目指せなくなった╱目指す必要がなくなった女性たちの、かつてのJJ的価値観の緩みのようにも見えるし、JJが提案し続けた男性視点によって付加される女らしさが、結婚神話なしで存続していくためのエクスキューズにも見える。JJのように将来を見据えた安定がなく、かといってギャル雑誌ほど刹那的な若さに頼ることもないそれは、それなりに経済的な自立が約束されながら、社長や社長夫人のリアリティは薄れた、非常に現実的な女性たちの気分だった。この、重い最終目標から自由になった、可愛くなる、恋愛を楽しむ、テンションが上がる、という軽やかな目的のための「モテ」はしかし、強烈に当時の女性たちを引きつけ、一時のCanCam一人勝ち状態を作り上げたのである。