匿名さん
■国語力の低下が想像力の欠如につながる教員の8割が感じている「子供の国語力低下」が引き起こす深刻な問題 | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい
外国語、プログラミング、SDGs、金融教育、起業家精神…日本では新しい教育が次々と導入されている。。しかし一方で、日本の子供たちの「国語力」の衰退は危機的なレベルにあるという。『ルポ 誰が国語力を殺すのか』の著者・石井光太氏が子供たちの言葉を奪う社会の病理と国語力再生のために提言する。
小学4年生の教科書に載っている戦争文学に『一つの花』(今西祐行)があります。こういう話です。
戦中の食糧不足の中、お腹を空かせた幼い娘は何度も食べ物をねだるのが癖になっていました。ねだれば、もらえると思ったからです。父親が出征する日も、彼女は何度もおにぎりをねだりました。父親はおにぎりをすべて渡した後、別れの直前に駅のゴミ捨て場のようなところに咲いていたコスモスを摘んで手渡して戦争に行きました。戦後、父親は帰ってきませんでした。しかし、家の庭にはコスモスの花が咲き乱れていました――。
先の先生が子供たちに「なぜ戦争に行く前に、父親は娘にコスモスを渡したのか」と尋ねたところ、「娘が騒いだから罰として与えた」とか「お金儲けのため」といった答えが続出したそうです。
では、なぜ、そう考えられたのでしょう。それは、他者の胸の内を言葉によって想像し、状況を適切に捉える力が弱いためです。常識に基づいた想像力を駆使して行間を読み取る力がないので、プログラミング的な思考で、「ゴミ捨て場に咲く花を渡す=罰」となる。
その先生は、これは単なる誤読ではないと主張されていました。誤読以前に、言葉をベースにした情緒力、想像力、論理的思考からなる国語力が不足しているから起こる解釈なのだ、と。国語力の不足によって行間を補えないということです。