匿名さん
堅い仕事以外に偏見をもっていた母は、ことあるごとに漫画を軽蔑した。漫画の社会的地位が低い時代の話とはいえ、屈辱以外のなにものでもない。それでも、一条は漫画を描き続けた。「私は母をぺしゃんこにしたかった」一条ゆかりが三日三晩考えて断った“幻の連載” | 文春オンライン
一条ゆかりさんの最後の長編作品である『プライド』(2003~2010)。「いま」と「リアル」を表現してきた漫画家、一条ゆかりさんに、ジェーン・スーさんが自分の味方であり続けるための心持ちと実践方法を聞…
「母に認めてもらいたいという美しい話ではなく、私は母をめったくたに、ぺしゃんこにしてやりたかったの。許せなかった。母のプライドを維持するために、なぜ私が嫌な思いをしなければいけないのかって。本当に腹を立てたけれど、子どもが怒ったところで力もない。だから、いまに見てろという気持ちでやるしかない」
「私はわりと客観的な性格なんです。たとえばデビュー当時の少女漫画は、名もなく貧しく美しくの主人公がいじめられて、御曹司が助けるような話の全盛期。だから、そういう都合のいい話が嫌いな私の感覚がウケるはずがないと思っていました。かといって、世間に合わせる気もなくて。一緒にスポーツ漫画をやろうと声を掛けてくれた編集者もいたんですけどね。『巨人の星』、『あしたのジョー』、『アタックNo.1』が大人気でしたから」
新人なら、喉から手が出るほど欲しい連載の誘い。しかし、描きたい題材ではなかった。3日間時間をくださいと編集者に頼み、一条は考え抜いた末に断った。
「スポーツ漫画の、ファイト~! ドンマ~イ!っていうのが大嫌いで。部活でなまじっかスポーツをやっていたから、私が描いたら、失敗した人に『おまえのせいで2位になったじゃねぇか、ふざけるな!』ってなっちゃうしね」
ファッション業界を舞台に母と娘の物語を描いた『デザイナー』は、一条のオリジナリティーを確立した作品だ。新宿時代に、24歳で描き始めた。
本作で、一条にしか描けない世界が世に放たれたのは、必然と言える。
「本当に、死ぬほどあれを描きたかったの。(主人公の)亜美なんかどうでもいいの。私は(亜美の母親の)鳳麗香おおとりれいかを通して仕事に生きる女のプライドを描きたかった」