匿名さん
子供はやがて学校に通い、病気になれば医者の世話になる。今、読めない名前のために教育現場や医療現場は仕事の負担が大きくなっているが、医師や教師は我慢して苦情は言いたてないし、名づけをする親も見えない人たちには気をまわさない。読めない名前は必ず誰かの迷惑になる…命名研究家が「キラキラネームはやめたほうがいい」と訴える理由 じつは名前は「社会の共有物」である
子供にはどんな名前をつければいいのか。命名研究家の牧野恭仁雄さんは「『キラキラネーム』はやめたほうがいい。名前で性格や生き方が決まるわけではないが、他人や社会に背を向けたような名づけをすれば、その感覚、姿勢が子供に伝わってしまう」という――。
本人が社会へ出れば、厳粛な場で氏名を呼ばれることもある。読めない名前では読み間違いされたり、あまりに奇抜な名前は失笑を買ったりすることもある。
もし意識不明の状態で病院に搬送でもされたら、読めない名前のために混乱して処置が遅れたり、運悪く患者を取り違えたりしたら他人の命にまで関わる。
そういうことをあれこれ考えながらやるのが名づけである。でも実際は「人に読めなくても気になりません」「こう読ませりゃいいでしょ」と言う人も少なくない。それはその人の知能が低いのでも、性格がゆがんでいるのでもない。社会という言葉を聞いても知人の顔しか浮かばず、知らない人がひしめく広い社会のイメージが浮かばないのである。
「名前は本人の持ち物だ、どう扱おうが自由だ」と誤解されることもあるが、じつは名前というのは社会の共有物なのである。看板やポスターと同じで、作る時は個人の作品でも、公共の場に貼り出されたら社会の共有物である。自分が作るのだから何を描こうが自由だ、人に読めなくてもいい、というものではない。