匿名さん
■「うるさい」としか思えなくなっている私なぜ帰省ラッシュの新幹線で「子供の泣き声」が嫌われるのか…日本の子育て政策が上手くいかない根本理由 「学童落ちた」は社会現象にならなかった
新幹線や飛行機の中で子供の泣き声が嫌われるのはなぜか。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「子育ては、自分が関わっている限りは切実で、絶対に譲れない問題だ。一方で、ひとたび時間が過ぎ、子供が成長すれば、完全に他人事になってしまう」という――。
実際、まさにこの原稿を書いている今、新幹線の私の真後ろの席で子供が騒いでいる。
泣いてこそいないものの、テーブルを出したり閉まったりして背中に振動がくるし、時には「まだつかないの~」と大きな声を出す。
慌てて父親らしき人物がデッキに連れ出す。
そう、私もかつて赤ん坊だった娘とともに新幹線に乗ったときには、子供がグズりそうになると急いでトイレ付近に逃げていた。
誰かに注意されはしなかったし、文句を言われたのでもない。
幸いにして私の娘は泣き叫ばなかったから、ちょっと待てば落ち着いたのだろうし、多少の「騒音」なら許されたに違いない。
しかし、私の「内なる世間の目」が私を許さなかった。
不機嫌な子供をそのままにしておくのは親として失格なのではないか。躾がなっていない、と言われるのではないか。
心の声が、あのころの私を縛っていた。
さっきまで私の座席が揺れるたびに、後ろにいる子供を母親らしき人も「そんなことしたら、前の人がイヤでしょ」と注意していた。
とはいえ、すぐに諦めたのか、座席を蹴らせたままにしているし、「あと何十分でつく~?」との大きい声もしばしば聞こえる。
ただ「うるさい」としか思えなくなっている私は、自分がかつて後部座席の親子と同じ立場だったことなど、ほとんど忘れているのだろう。
(略)当事者ではなくなるとともに、数年は関心を持ち続けていた待機児童問題についての報道も、だんだんと目に入らなくなっていた。
(略) ここに、私(たち)が新幹線や飛行機で子供の泣き声にイラつく理由がある。
子育ては、自分が関わっている限りは切実で、絶対に譲れない問題だからこそ、ひとたび時間が過ぎれば、完全に他人事になるからである。