匿名さん
パーティの少し前に会場に入った蛭子さんが、白壁に並べられた作品をひとつずつ見ていく。蛭子さん“最後の展覧会”制作現場の挨拶は「毎回『初めまして』」 | 女性自身
認知症公表から約3年、テレビ出演が激減し蛭子能収さん(75)だが、ただ今開催中の「最後の展覧会」展が連日の盛況を呈している。 蛭子さんの再婚は何を隠そう、本誌のお見合い企画から。以来、20年の付き合いがある本誌記者が、今回の展覧会に至るまでの裏側に完全密着。約1年をかけて新作絵画19点を描き上げた蛭子さんと、それを支えた旧友たちの愛と葛藤の物語。認知症700万人時代は、“助け合い”と
「これは誰の絵ですか……?」
と蛭子さんはぽつり。
「蛭子さんが描いたんですよ」
と、わたしが伝えると、蛭子さんは少し不安な顔つきをした。
昨年秋から今夏にかけて約1年間、展覧会に向けてキャンバスと向き合った記憶はすでに消えているーー。
やがて会場に、古くからの知り合いが集まりだした。
「蛭子さん、久しぶり。オレが誰だかわかる?」
「すいません、まったく覚えていないんですよね……」
申し訳なさそうに頭をポリポリ。
集まったのは40年以上前からの仲間たち。覚えていないと言われた人は「ま、いいか」と複雑な笑みを浮かべるしかない。
それでも蛭子さんは、途切れた糸が再びつながるように、体調がいいときは、会話が通じ合い、古い記憶を語ることさえある。
蛭子さんを囲んで、周囲が笑い話に興じていると、スイッチが入ったように、絵筆が滑りだし、絵を描いていく。周りが楽しそうにしていると、蛭子さんの筆もどんどん進むのだ。
出展する最後の作品を仕上げた日、蛭子さんを車で送ったわたしは、バックミラーに映る蛭子さんの様子がおかしいことに気づいた。
「なんか、みんなに親切にしてもらって、オレ、本当に……」
と、顔をくしゃくしゃにして涙を流していた。認知症の人はなにかの拍子に感情の起伏が激しくなることもあるが、わたしは蛭子さんの涙と言葉が心にしみた。
制作を見守った手塚さんは、訪れる蛭子さんに、いつも「初めまして!」と声をかけた。
「わたしのことはすっかり忘れているようです。だったら、毎回初対面と考えて、また新しく関係を作り上げればいいだけ。明日、忘れたら、また『初めまして』で関係を築けばいいでしょう」