匿名さん
昨年、文教堂赤坂店が閉店した際の入り口の張り紙は大きな反響を呼んだ。「書店減少」嘆くのにネットで本買う日本人の矛盾
30年前、「待ち合わせ」という言葉には、緊張感があった。「明日の待ち合わせは、正午にBIGMAN前だからね」気になっている女の子と約束をして、意気揚々と電話を切るのだが、内心は穏やかではない。本当に来てくれ…
「書店という業態は世の中に街に必要とされなくなっているのだろうか?」
書店員さんのこの訴えには、心から「そんなことは決してないです」と答えたかった。その書店の空間やそこに流れる時間を僕は愛していた。同じように感じる人たちはきっと多いだろう。しかし、事実として全国の書店は減少している。
(略)
書店が減っているのは、資本主義のせいでも、ジェフ・ベゾスのせいでも、他の悪者のせいでもなく、僕たち1人ひとりの選択の積み重ねなのだ。タイパ(タイム・パフォーマンス)やコスパ(コスト・パフォーマンス)を重んじるあまりに、その選択が社会に与える影響を忘れてはいないだろうか。
「書店という業態は世の中に街に必要とされなくなっているのだろうか?」という質問に「必要ないです」と答える人は多くはないだろう。しかし、社会に与える影響を考えていないと、結果的に「必要ないです」という行動を選択していることになる。
これは書店に限ったことではない。コスパを考えて、食料品を外国から買っているうちに、日本の食料自給率(カロリーベース)は40%を割ってしまった。
同じくコスパを考えて、国内の工場の多くが賃金の安い海外に移された。日本の雇用は減り、設備投資も減り、技術も海外に流出した。日本は貿易赤字国になり、全体の経済力も低下してしまっている。
最近、お金の教育が注目されているが、まずは、お金を通して自分と社会がどのように関わりあっているかを学んだほうがよいのではないだろうか。