匿名さん
そんな時、谷からの漫才を盛り上げたいという言葉で、こんな物を作ろうと話をしました。島田紳助16年ぶりの告白「M-1作った本当の人物」
「谷と作ったM-1」 島田紳助谷が、読売テレビの本番前の楽屋に訪ねてきて、会社から漫才を盛り上げろと言われたのですが、なんか知恵貸してくださいという風な会話から、全てが始まりました。私の中で、2つの思い…
普通の人間なら、そうですねーと相槌打って終わるのですが、谷はいつものように熱く語るでもなく、淡々と内容を質問してきます。
演者が審査に納得する戦い、だから審査員は点数をその場で公開する、これも審査員が笑いのセンスを視聴者に審査されるわけですから、やってくれる人間がいるか?
そして、高校野球のように、予選からはじめて、プロセスから見せて盛り上げる。
最後は賞金を1000万。
新人の漫才の大会で、1000万なんて当時は超破格でした。
そんな私の提案を、谷は1人で動き、1人で作り上げていきました。
私は表の人間ですから、島田紳助がM-1を作ったと言われてきましたが、私の中では、M-1は俺と谷で作ったんだと、ずーっと思い続けていました。
私がライダーで谷がメカニック、2人のチームでした。
谷は裏で苦労したことも沢山あったでしょうが、私も表で大変でした。(笑)
審査員のなり手がなく、私も直接お願いしたり。
松本人志も快く審査員を承諾してくれ、これも私には重要なことでした。
演者が納得するには、松本人志がいてくれないと困るのです。
当時彼は、若手のカリスマでしたから、快くオッケーしてくれ、私が引退するときもM-1頼むなの約束を守り、今もやってくれてることに感謝です。
そう言いながら、やめてから1回もM-1見てませんが、やめた世界に興味がないんでしょうね。(笑)