匿名さん
たとえばシングルマザーは、とても弱い存在だ。厚生労働省の2016年の調査だと、母子世帯の母親の平均年収は約200万円だという。働いている人全体の平均年収の半分以下である。支援も行き届かず、困っている人はとても多い。シングルマザーと非正規中年男性、より弱者はどちらか…弱者に寄り添うはずのマスコミが見落とすKKO問題 「弱者」と「強者」は立場によってコロコロ変わる
日本のマスコミの多くは「弱者に寄り添う報道」を信条としてきた。ところが、そうした報道が批判を集めることも少なくない。ジャーナリストの佐々木俊尚さんは「前世紀と違い、いまの社会では弱者と強者は固定化されたものではない。それなのにマスコミは『絶対的な弱者』を前提にしている」という――。(第1回/全3回)
では、シングルマザーよりももっと弱い弱者はいるだろうか? インターネットのスラングで「キモくて金のないオッサン」というのがある。略して「KKO」という。年収200万円以下の非正規雇用の人は日本に1000万人近くいて「アンダークラス」などと呼ばれているが、このアンダークラスの中でも中年の男性はとびきりの弱者だ。彼らをシングルマザーと比べてみたらどうだろうか。
もちろん、ひとりひとりによってさまざまなケースがあるので、単純に「どちらがより弱者か」などと比較するのは、倫理的にもよろしくない。しかし、それでも強いて比較対象として見ると、シングルマザーには一点だけKKOに優る部分がある。それは「女性だから、助けの手を差し伸べてもらいやすい」という点だ。
KKOは、容易に助けの手を差し伸べてもらえない。なぜなら「キモい」からである。ボランティアなど女性の支援者がうかつに手を差し伸べたりすれば、勘違いして襲ってくることだってあるかもしれない。だれからも見棄てられてしまう可能性が高いのが、KKOなのである。しかし社会は「彼らは男性だから」という理由で弱者として扱うことをしない。
(中略)
だから大切なのは「弱者だから大切にせよ」「強者だから非難されて当然」と最初から決めつけてしまうことではない。弱者と強者が混じり合って存在し、つねに立場が入れ替わってしまうような社会で、その都度バランス良く「何が公正か」を判断していくことなのである。
「こぼれ落ちている弱者はいないか」「弱者が転じて強者となって、逆に抑圧を生んでいないか」ということを、わたしたちはつねに振り返り続けなければならないのだ。