平成時代「ギャルの聖地」SHIBUYA109では何が起こっていたか…元カリスマ店員が見たもの

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匿名さん



平成時代「ギャルの聖地」SHIBUYA109では何が起こっていたか…元カリスマ店員が見たもの

【読売新聞】 「平成ギャル」――。若者の間でこんな言葉が流行した。2000年代のファッション「Y2K」もトレンドになり、ギャルマインドについての本が出版されるなど、「ギャル」が改めて注目されている。ブームを巻き起こしたのは平成ギャル
雑誌やテレビの取材、増え続ける客。この頃のエゴイストは14坪の店舗面積で約2億円を売り上げる月があるなど、もはや社会現象となっていた。だが、森本さんの給料は多い月でも「25万円」。エゴイストの店員として働き、実際の給料は世間の評判ほど高くなかった。「ずいぶん社長には稼がせたと思います」。当時を振り返って笑う。

だが、実は当時、森本さんが着ていた服はブランドのイチオシというわけではなかった。着用していたのは、ほとんどが売れ残り。でも、「森本容子着用」。それだけで、洋服やアクセサリーは飛ぶように売れた。買い物客はクレジットカードを作れない10代が多く、お年玉やお小遣いを 貯た めて買っているから、紙幣が三つ折りになっている。くしゃくしゃになったお金を札束としてまとめて金庫に入れる日々が続いた。

元々はコギャル。それでもこの頃には、キャリアを重ねるにつれて「プロの販売員」というプライドがあった。着れば売れるから、店頭ではギャルファッションに身を包んだ。ウィッグを 被かぶ って、ギャルを演出した。だが、仕事が終わればウィッグを外し、厚底のブーツを脱いだ。人目につかないように自宅に帰った。「ビジネスギャルだったんでしょうね」

熱狂していくギャルたちとそれを冷静に見つめる自分。ブームが大人たちの手によって「作られた」ものであることは分かっていた。カリスマとして持ち上げられ、雑誌やテレビに出演する。暴走気味のブームは収拾する気配もなく、忙しさは加速した。森本さんは「早く仕事を辞めたい」と考えるようになった。

周囲に引っ張り回され、人気が絶頂に達していた1999年秋、森本さんはエゴイストを辞める。周囲からは反対の声も上がった。辞めることは難しいだろうとも思った。そんな最中、森本さんの元に脳腫瘍と闘病していた弟・亘さんの容態が悪化したことが伝わる。「そばにいたい」と退職を申し出た。でも、本心では「辞めるために弟を使った」という思いが残った。命が危ぶまれる家族を理由にしなくては、辞められないほどに時代に振り回されていた。

半年間ほど休養したころ、知り合いから連絡があった。「新しいブランドをつくる。家族の体調が落ち着いているのなら手伝ってほしい」。誘われてアパレルブランド「マウジー」の創設に参画した。ほどなくして、亘さんは9歳11か月で息を引き取った。2005年にヨーコモリモトデザインオフィスを創業し、現在も社長として仕事に、子育てに奔走する。

「今もまだ、私が着た服は売れるんですよ」。テレビ通販「ショップチャンネル」で自身のデザインした洋服を販売し、テレビにも出演して洋服を着る。やはり森本さんが着用すると売り上げは上がる。
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匿名さん

ギャル
髪染めるのとかですら抵抗ある
カラー剤も経皮吸収していくない
わかってる人はみんな地毛
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