江戸時代の女性は銭湯から裸で歩いて帰った…かつての日本で女性たちが上半身裸でうろついていた理由

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匿名さん



江戸時代の女性は銭湯から裸で歩いて帰った…かつての日本で女性たちが上半身裸でうろついていた理由 何を"恥ずかしい"と感じるかは文化の中で形成される

なぜ日本人男性の多くは「乳房」に性的欲望を覚えるのか。明治大学文学部非常勤講師の三橋順子さんは「かつての日本では乳房に性的な意味はなく、女性が上半身裸で過ごしているのも当たり前だった。人が何に性的欲望を感じるかは文化の中で形成される」という――。
将軍様のお膝元の江戸では、町奉行所が「男女入り込み湯」(男女混浴)を禁止するお触れを何度も出していて、それに応じて、男湯と女湯を仕切っていました。でも遮蔽はされていません。男湯と女湯を見えないように遮蔽する(しなければならない)発想は、完全に近代(明治時代以降)のものです。

(中略)

ラグーザ・お玉(1861~1939年)という、明治初期に西洋絵画を学んだ女性が旅行先で描いた1880年頃の京都の旅館の光景では、旅館の上がり口で若い女性2人が、もろ肌脱ぎの上半身裸で石臼をまわしています。肉体労働、とくに汗をかく夏の時期に、女性が上半身裸体になるのは、明治期になっても珍しいことではなかったことがわかります。

私も小学生の頃、夏の夕暮れ、往来の縁台で近所のおばさんが、乳房が見える状態で夕涼みをしていた記憶があります。たぶん1963年前後でしょう。「おばさん」と言っても実年齢はおそらく40歳前後、今風に言えばアラフォーの女性です。生活習慣的には、1960年代まで、江戸時代的な羞恥感覚が残っていたのかもしれません。
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