匿名さん
改めて振り返ると、葛藤が多い幼少期だったと思います。公立の学校に通っていたので、当時の「ダニエル」という苗字や外見だけで目立ってしまって。子どもって無邪気だから、悪意なく違いを指摘してくるんですよね。みんなになじめないことをコンプレックスに感じ、つねに人の目を気にしながらオドオドしていました。もちろん楽しい瞬間もあったけど、パッと思い出すのは、そういった葛藤ばかりです。水原希子さん、幼少期の葛藤から「毎日泣くほどつらかった」モデル時代の挫折を告白(yoi) - Yahoo!ニュース
モデル、俳優として、国内外の第一線で活躍し続ける水原希子さん。周囲となじめずに悩んだ幼少期から、自分だけの個性を見つけるまでの道のりと学び――。唯一無二の存在感を放つ水原希子さんが、“今の自分になる
――18歳のときにパリへ渡航し、現地のモデル事務所を巡ったそうですね。『ViVi』を含むさまざまな雑誌で活躍する中、海外を目指したのはどうしてですか?
<中略>パリでの活動は…結論から言うと、ほとんど相手にしてもらえなかった。今のように多様性が美の時代ではなかったから、アジア人で身長が170cm未満の私はチャンスすらもらえない。最後の最後にひとつだけオファーをくれた事務所があったんですが、パリに住むことが条件だと言われ、じっくり考えるために帰国しました。
滞在中は毎日泣いていたほどつらかったけど(笑)、最終的にはいい経験になったと思います。道端で声をかけられたスカウトマンにエージェントを紹介してもらうなど、素敵な出会いもあったし、目的は達成できたので。