匿名さん
和田 発達障害がメディアで大きく問題になり始めたときは、通常学級の3%ぐらいと言われていました。それが今だともう8.8%という調査結果になっているわけで、過剰診断なのは間違いない。「子どもから大人まで異様に増え続ける発達障害」と「日本社会のヤバすぎる特性」...正常な人が「異常」扱いされるのは日本だけ(週刊現代) @gendai_biz
一般的な精神疾患である「うつ病」に加え、近年は「発達障害」と診断される人も急増している。このような異常事態に警鐘を鳴らしているのが、『精神医療ビジネスの闇』(北新宿出版)の著者であり、20年以上にわたり精神医療現場での人権侵害問題に取り組む米田倫康氏だ。
加えて、発達障害なるものを本当に直す必要があるのかという問題もあります。もちろんね、コンサータというADHD治療薬を使って落ち着かせないとどうしようもないぐらいのレベルの子はいないわけじゃない。だけど、大抵の子は多少落ち着きがないとか、他人の気持ちが多少わからないというレベルなんです。
それを病気とみなしていいのかなとは思いますよ。子供の頃の私を振り返ると、他人の気持ちなんてまったくわからない、とんでもないクズガキで、いまだったら明らかに発達障害に当てはまる。でも、そういう性質は個性でしょう。発達障害だけれど精神科の医者になれたし、国内でいちおう定型的なトレーニングを受け、アメリカでも3年勉強できたおかげで他人の気持ちは普通にはわかるようになったわけです。医者以外のいろいろな仕事ができているのも、発達障害のおかげだと思っていますよ。
米田 「早いうちに親が子供の異変に気づいて、早期療育をしてあげないと社会性が身につかない」と言われると、もう誰もが従ってしまう。その同調圧力はすごいですよ。そうしないのは親の虐待だとかエゴだと決め付けられてしまうんです。子供に発達障害があるのなら、早くなんとかしてあげるのが親の責任じゃないかと責められます。実際には発達障害を客観的に判別する手法など存在せず、専門家の診立てが本当に正しいのかどうか誰も保証できないにもかかわらず。
■「発達障害=個性」にならない日本社会
和田 ちょっと落ち着きがないだの、ちょっと片付けられないだの、ちょっと人の気持ちがわからないだの、そういう人たちは別の特性や長所も持っているのに、そこを個性と見ないで変なヤツとして排除する。それはもともと日本という国の特性でもあって、落ち着きのないヤツよりは、じっと座って授業を聞いていられるヤツの方が偉くて、みんなと合わせられるやつが良い子とされる文化だから。
人の気持ちがわからない天才肌よりも、人の気持ちがわかるちゃんとした人間のほうがいいわけです。他の国だったら、「いや、変わり者でもいいじゃん」って受け入れられやすいのに、日本ではそこを排除する文化に発達障害の診断がお墨付きを与えている。変わってる人たちに対して日本は不寛容だから、病気だってことにするのは都合がいい。そこが日本の場合、発達障害を抱える人たちの不幸でしょう。
米田 (略)いったん発達障害という診断をつけられたら、もうこの人は普通じゃないんだから普通と違うレールでないといけないとか、排除しないといけないというイメージができてしまったのも不幸のひとつと感じます。